うたうあなたに

2014年6月9日

シンガーソングライターって多かれ少なかれ自分の色を持っているわけで、良い方に表現出来ればそのアーティストの個性として認知されるわけだし、失敗すれば始末の悪いワンパターンの歌い癖(笑)になってしまうわけだよね。悪いパターンの時は大抵の場合本人は気がついていない…。アーティストさんは様々な曲調にチャレンジしているつもりなんだけどリスナーからすると、どれを聴いても同じみたい!?…って残念な感想をいただくことが多々あります。なぜなのだろう?これを打開するにはどうしたら良いか? 自作の場合メロディーの幅は自身のボーカルの音域を超えることはありませんよね。歌いやすいメロディーなんだから。リフに対して割り振って作るような場合はなおさらです。歌声も同じだから何曲も作っていけば似たように聞こえるのは当然なわけです。お察しの通り、この部分を曲ごとに修正していくのは大変なことです。打つ手は無いのだろうか? 僕は意表を突く裏技を使います。メロディー主体のシンガーソングライターやボーカリストが意識しにくい部分…そうなんです、リズムなんです。ヴォーカルレッスンとして発声練習や
ハーモニーはトレーニングするけどリズムトレーニングはあまりしないでしょう。弾き語りの練習もピアノやギターはあるけどその時ドラムはやらないもんね。リズムだけをバックにアカペラで唄ってみてください。慣れてくればテンポは同じでもリズムパターンが変化すると自然とボーカルのスタイルに変化が出てくるのに気がつきます…と、言うか僕はボーカリストにせよピアニストにせよリズム感の悪いミュージシャンは好きではありません。メロディーはあるていど修整効くけどリズム感はなんともしがたい…そんな気がします。もちろん個人的な主観です。


ひさびささいていさいあくのどようび

2014年6月7日

いやぁ〜 降り止まぬ大雨で、二月の大雪以来のとんでもない事になっています。今日も仕事なのでいつも通り支度をしていたらテレビで交通情報が…。えっ!?列車遅延…通行止め!?嫌な予感がしたので早めに家を出る事に。案の定、自宅前から駅に向かうはずの道路(山道(笑)です)が通行止めに。なんとか別ルートで駅に到着したものの土曜日の朝なのになぜか電車が混雑しております。実は僕の利用している京王線の飛田給駅…味の素スタジアムで本日、某アイドルグループのイベントがあるようでございまして、明らかにそのアイドルグループのファンと思しき方々で車内が溢れております。イベント開始時間は夜からでしょうに朝八時前から行動開始とは恐れ入ります。大雨の中、会場付近で夜まで待機するのかな?風邪ひいたりしないでよね。また事故や怪我人が出たりしたらイベント自体が今後自粛等なってしまうのでくれぐれも無理な行動はしないでくださいね。でも、こうしたファンに支えられているって素敵ですよね。個人的には興味の無い世界なんだけど一生懸命で一途な人達って好きです。って書いていたら帰りの路線が運休しや
がった…。なんてこった!オマケにイベントに向かう明らかに某アイドルグループファンとわかる連中で電車がとんでもない混雑です!我慢も限界で、こうなると理解のある大人ではいられません。暴言かましたくなります。雨よ風よ嵐よ!かまうこたぁない!もっともっともっともっともっと降れ!雷でも落ちやがれ!昔から雨の野外イベントって音楽史に残るものがたくさんあります。今日また新たな伝説が生まれる!刮目せよ


つなえたいことば

2014年6月6日

たまに思い出して心を引き締めるんだけど、NanohanAのはじめてのライブ前に僕が言った言葉…二人には言いたい事や伝えたい事が明確にあるんだから自分達のメッセージを客観的に自分達に届くように歌おう。それはすなわち聴いている方々に届くと言うことだから。ぼんやり聞いてると何の事やらサッパリわからないよね。わかりやすいようにつながりでお話すると、ネイチャーミュージックはガールズアコースティックのレーベルです。コンセプトはアカペラの魅力、目の前でアーティストが唄っているかのような、声のみの魅力。バンドマンである自分にとっては、このボスが目指しているものは対極的、ある意味究極的な音楽になります。食事で例えれば炊きたてのご飯だけ、バターやジャム等一切つけない焼きたてパンだけって事です。飢餓状態ならいざ知らずこの食事で満足する、感動をおぼえるとする…ご馳走と思わせねばならぬわけで、まさに究極のメニューものです。ましてやレストラン等として商売するなんて考えられないでしょう。もう十数年前になりますがガールズユニット(明日)とボスはその考えられないものを形にしていました。その曲た
ちは多くのリスナーの心に残ったことでしょう。そのあと、いくつかのアーティストさん達も同様の試みをしましたが、完成には至りませんでした。音楽知識、技術的には優れていました。でも届くものを作るには及びませんでした。なぜなのでしょうか?何を伝えたいのか…何を届けたいのか…そこには明確なメッセージが無かったからだと思います。拙いものや荒っぽいもの、作品としては洗練されていなくてもアーティストが本気でぶつけてくる思いがあるならば聴き手の心に届く。これがはじめに書いたNanohanAとのミーティングで語った僕の思いでもあります。そして、これからもず〜っとそう思って作品を仕上げよう、乃里絵さんやあさ美さんとの合言葉です。ラジオもですがNanohanA の曲達に込めた想いや僕自身の想い、初心に帰る意味からも、これから少しずつ綴っていければと思います。


ことばあそび

2014年6月4日

前回のブログで最後に書かなければいけない一言を忘れてしまいました。いつも応援してくださり応援メールや投稿、感想等いただく方…ここでお名前が出せないのが申し訳ありませんが、いつもいつもありがとうございます。あなたの存在や、いただく応援が私達にとっては「鬼に金棒!」です。さてアーティストが作品に込めるメッセージですが、必ずしも聴き手にしっかりと届くかどうかはわからない…たびたび書かせていただいてますが、詞を書くにあたりそこらへんを意識するかしないか…そこがプロとアマチュアの差になると思います。たしかにアーティストが詞を作る時には思いを込める対象があるわけです。伝えたい相手は明確なわけです。恋人であり友人であり親であり子でありペットであり…自然が対象の場合もあるでしょう。歌詞全体の内容と主張が明確ならば「お母さんに伝えるよ」や「友達に贈るよ」で歌詞を成立させるのも良いでしょう。でも共感するリスナーはある意味限定されてしまいますよね。リスナーの想像力にゆだねるならば「誰かに伝えるよ」「きみに贈るよ」みたいにすれば聴き手は自分の身近な誰かを思い共鳴してくださいます。アーティスト
の対象としているものが友達だとしても、聴き手によりイメージされるものが様々に変化する…言葉のマジックが在るか無いか アーティストの技量ってそんなところに出ると思うんだよね。僕ならば「お母さんに伝えるよ」とか「友達に贈るよ」みたいなベタな詩も「大地に向かって叫ぶよ」とか「大空に向かって投げるよ」みたいに母や友を大地や空に例えてみたりしたいんだけどね。やっぱり単語から広がっていくイメージの言葉遊びって感覚はアーティストには不可欠であり重要なポイントじゃないでしょうか?。古文にせよ俳句や短歌、和歌等々、日本語としての様々な美的表現は追求されてきているわけだし。あくまでも僕個人の感覚的な表現になりますが「文章を書く」ではなく「文を綴る」なんだと思いますが。アーティストの方々、いかがかな?


おおげさに言うならば進化をとげていくということ

2014年6月2日

鬼に金棒、最近日常でとても意識している言葉でございます。僕は自信家ってわけではありません…むしろ心配性でいつも不安な状態です。だから外に向かってアピールします。だから周りの方々はこんな風に言ってくださいます。繊細な反面、やる事大胆でダイナミック…つまりおおざっばって事です(笑)。だから何かにトライする時には必要以上に「俺って天才じゃん!凄ぇじゃん!」って自己暗示かけます。もちろんその暗示にかかる為には…(自分自身納得させる為)それなりに修練を積まねばなりません。実力が上がってきたのが自分自身でわかってくれば楽器にしても機材にしてもワンランク上のモノを手にしたいと言う気になってくるでしょう。そして手にした時点で自分にこう語るのです…「鬼に金棒!」要するに自信の裏付けのようなもので、他人からすればバカバカしいものでしょうけど自分自身の精神衛生上必要不可欠なものです。あさ美さんは作曲等はパソコンで様々なソフトやMIDIベースをシンセサイザー等で複合合成して行なっていますが、近々システムの入れ替えや新しいソフトを導入するようです。同様に…というか、これこ
そまさに鬼に金棒!ですかね。それにあわせて僕も曲を作っています。今後の作品に大、大、大注目ですよ。御期待ください。