まとめて本にできねえかな?

2014年8月13日

自分のブログのアーカイブを調べてみてビックリ!本田社長からやってみない?っていわれて書き始めたのが2009年です。かれこれ五年になるわけですよ。これでも読み物として楽しくなるように内容や話題は知恵を絞って書いているわけですが、書き始めの頃を読み返してみると、やたらエラそうな文章で笑えます。回数も週に一、二回程度でタラタラと綴っています。それでも時としてちょっと辛辣だったり、その時にかかわっていたアーティストさんへの想い等が書いてあって、その時に一緒に書いた曲や御一緒させていただいたライブの事など色々と思い出しました。当時はレコーディングテクニックよりもライブ等でのスキルアップのサポートに重点をおいていたのでライブに対しての気構えや楽器類のテクニックやパフォーマンスなどについて色々と趣向を凝らして書いていましたっけ。以前サポートしていたアーティストさんの事やらライブの事やら懐かしいです。その中で書いているNaO名義で活動しているアーティストが今のあさ美さんなんだよね。スタッフブログの中でnamy名義で綴っておりますので御興味ある方、アーカイブとして読んでみていた
だければ幸いです。


おもいをちからに

2014年8月12日

詞と曲をつくってから何年も経過してしまって、未だに完成していない作品がいくつもあります。特に大事にあたためている曲がありまして、自分で紹介するのもおかしいんだけど、とにかく素敵な曲なんです。そんな良い曲をどうして放っておいたんだい?…って言われるでしょうが、歌えるシンガーが現れなかった!って言うのが一番の理由です。一般的に言うところのシンガーソングライターのような…要するにガールズポップのテリトリーの曲調の作品ではないのです。進行はいたってシンプル。美しい大和言葉にこだわりました。日本酒や焼酎、味噌等のCMソングのような旋律、そんな感じをイメージしてもらうと雰囲気が伝わるかもしれません。石川さゆりさんや坂本冬美さんなどに歌ってもらえたら…なんて夢見てた曲です。今回それをNanohanAでレコーディングしてみよう…とあさ美さんが言ってくださいまして、現在果敢にチャレンジしてくださっています。当然NanohanAやあさ美の音楽世界観とは全く違うベクトルに位置する曲ですから簡単にはいかないと思います。僕もしっかりと取り組みます。完成した暁にはガールズポップの世界に新たに音楽ジャ
ンルが生まれるでしょう。大袈裟だけど歴史を変える歌、作ってやりますとも!そんな気構えで取り組んでいます。聴いてくださった方が、またその方の子供さん達がず〜っと大切に歌い継いでくれる歌をつくりたい…そんな思いがまた一つ実現できるかな?…だと 嬉しいです。


真夏の恐怖

2014年8月9日

乾いた洗濯物をたたんで洋服タンスにしまいますが、その時に次の日に着る服はそのまま枕元に置いて寝ます。冬場は寒いから朝起きたらすぐに着ますが夏場の今の時期、暑いから朝シャワーを浴びてタオルを肩から引っ掛けて出かけるまではその状態で、家を出る間際にサッと着替えてでかけます。通勤の電車で運良く座れた場合はしばし幸せな睡眠タイムとなります。さて素敵な音楽を聴きながらウトウトしようと思ったその時です。なんとなく膝がムズムズします…いや膝だけで無く二の腕や首の辺りもムズムズムズムズ…何かいます……するとズボンの膝からピョンと何かが跳ねました。なんと朝の電車内で数十匹の蚤君達が衣服から起きだし跳ねだしているではありませんか!さり気なくバッグを膝に置き膝のムズムズを擦るようにして蚤をはらってみたりします。足元からも蚤が跳ねだしているのがわかります。跳ねた蚤君達、四方に散らばり周囲の乗客の衣服にお引っ越しです。早朝から顔から血の気がひいた瞬間でした。


努力で光る天然素材

2014年8月8日

NanohanAの曲作りのエピソードで面白いお話がございます。NanohanAに限らず僕がリハーサルやスタジオ練習などでアーティストさんと遊ぶ時にギターで適当にコードをつなげていき、そのコードリフにあわせてメロディーを歌っていくと言う遊びをします。ただの遊びみたいなものなんだけど、きれいにまとめて歌うのにはちょっとしたテクニックが必要だったりいたしますのでバンド等で曲をまとめる為の良い訓練にもなります。例えば風邪薬や胃薬の能書やファミレスの料理説明付きのメニューの文章をマイナーやメジャーコードにのせてメロディーを付けて歌ってみるとかをします。あさ美さんや乃里絵さんは、こうしたものへの感性は流石!です。もちろんその為にはコードの展開理論や様々な楽曲の進行パターン等勉強が必要だし、悩み考え鍛練しなければなりません。このレスポンスの良さは曲作りの時もですが、ラジオでのやり取りの良さにもなっているんでしょうね。最近の曲は僕が書いている曲も増えてきていますが、あさ美のコードリフに対するメロディーは、こちらの想定以上のモノに仕上げてくれます。尚且つ、ヴォーカルのポテンシャルも表現力も格段に
上がってきていますのでこれから発表していく作品はとてもとても良い曲ばかりになると確信しています。皆様よろしくお願いします。


おもえばぼくのおんがくのるーつは

2014年8月6日

僕の父親は外務省に勤務していたらしく…らしくというのは、亡くなってしばらくしてから聞いた事でして、それも話してくれた伯父さんが酔っ払ってベロベロ状態だったから怪しいものですが。僕が物心つく頃には米軍基地の情報室で通訳をしていたんですよね。そんな関係で小学校の頃の夏休みは基地内のサマーフェスティバルやファミリーバーベキューで楽しんでおりました。米軍基地内にはPXと呼ばれるスーパーマーケットのようなものがあり、見た事も無いような色彩のキャンディーやら、やたらデカいチョコレート等ガキの心がときめくモノが満載です。中学生になると米軍のハウス内のアメリカ人と遊ぶようになり、バンド組むようになりました。よく言われる「渋谷のリズム感って独特だよね」って言われるリズム感はこの頃に鍛えられたのでしょうね。基地の中ではタックスフリーなので酒や煙草はとても安かったです。でも日本人が買って持ち出すのは駄目でした。ところが普通に安い値段で買い物ができたものがございました。楽器やレコードです。国内盤が出る半年前に新譜として届くわけです。さらに日本では発売していない音源だったりすれば自慢の一枚
になるわけです。レッドツェッペリンのジョンボーナムの使用機材メーカーだった米軍払い下げのドラムキットもそこで手に入れたんですけど、御茶の水の某楽器店で値段見てビックリしました。「なんでお前が持ってるの?」バイト先のお店の専属バンドマンの方がたまげておりましたっけ。アマチュアバンドやライブハウスなどでコピーを演奏する連中でも、当時はレッドツェッペリンのカバーは少なかったです。ギターはコピー出来てもヴォーカルとドラムの雰囲気を出すのは至難の業(わざ)だったからでしょう。バスドラムとスネアドラムの独特のグルーヴ感、なぜか自分にはジャストフィットだったんですよね。高校生の頃にはラウンジレストランの専属バンドに混ざってモビーディックやコミュニケーションブレイクダウン等叩かせてもらい、ガキのくせに良いグルーヴしてるね…なんて褒められてました。ヒールアップで押し込むようにズボッ!って踏み込むバスドラムの感覚は米軍基地の中のバンドとのブルースで築かれたんだろうな?って気が付いた時、父親嫌いの自分が唯一親父に感謝した。そんな不思議感覚でした。