おもえばぼくのおんがくのるーつは

僕の父親は外務省に勤務していたらしく…らしくというのは、亡くなってしばらくしてから聞いた事でして、それも話してくれた伯父さんが酔っ払ってベロベロ状態だったから怪しいものですが。僕が物心つく頃には米軍基地の情報室で通訳をしていたんですよね。そんな関係で小学校の頃の夏休みは基地内のサマーフェスティバルやファミリーバーベキューで楽しんでおりました。米軍基地内にはPXと呼ばれるスーパーマーケットのようなものがあり、見た事も無いような色彩のキャンディーやら、やたらデカいチョコレート等ガキの心がときめくモノが満載です。中学生になると米軍のハウス内のアメリカ人と遊ぶようになり、バンド組むようになりました。よく言われる「渋谷のリズム感って独特だよね」って言われるリズム感はこの頃に鍛えられたのでしょうね。基地の中ではタックスフリーなので酒や煙草はとても安かったです。でも日本人が買って持ち出すのは駄目でした。ところが普通に安い値段で買い物ができたものがございました。楽器やレコードです。国内盤が出る半年前に新譜として届くわけです。さらに日本では発売していない音源だったりすれば自慢の一枚
になるわけです。レッドツェッペリンのジョンボーナムの使用機材メーカーだった米軍払い下げのドラムキットもそこで手に入れたんですけど、御茶の水の某楽器店で値段見てビックリしました。「なんでお前が持ってるの?」バイト先のお店の専属バンドマンの方がたまげておりましたっけ。アマチュアバンドやライブハウスなどでコピーを演奏する連中でも、当時はレッドツェッペリンのカバーは少なかったです。ギターはコピー出来てもヴォーカルとドラムの雰囲気を出すのは至難の業(わざ)だったからでしょう。バスドラムとスネアドラムの独特のグルーヴ感、なぜか自分にはジャストフィットだったんですよね。高校生の頃にはラウンジレストランの専属バンドに混ざってモビーディックやコミュニケーションブレイクダウン等叩かせてもらい、ガキのくせに良いグルーヴしてるね…なんて褒められてました。ヒールアップで押し込むようにズボッ!って踏み込むバスドラムの感覚は米軍基地の中のバンドとのブルースで築かれたんだろうな?って気が付いた時、父親嫌いの自分が唯一親父に感謝した。そんな不思議感覚でした。